刊行にあたって
本書は新世紀をむかえて大きく発展しようとする,プロセスケミストリーの最近の成果と進展を概観したものである.プロセスケミストリーの重要性は今更論ずる必要はなかろうが,従来新規機能を有する物質あるいは新規医薬,農薬などの発見こそが大切で,それらを大量供給する手段であるプロセスケミストリーはややともすると軽視されるきらいがなくはなかった。しかし近年の物質生産は従来から行われている高純度のものを安価に供給するだけでなく,人に対し安全で,環境にやさしく,しかも溶媒や試薬などの有機資源を無駄に消費することのない,いわば地球規模で考える必要がでて来ている。更にそのための最適設備の選択と構築や,最先端技術を創出し適用することが要求されるようになって来た。またそのために種々の法的規制があり,これらをクリアーすることも必要である。すなわちプロセスケミストリーは物質生産の工業化に伴うさまざまな問題を含んでおり,それらを一つ一つクリアするために,合成化学者,分析化学者,化学工学のエンジニアなどが学際的協力を必須とする,実に幅広い化学といえよう。
ところでこのように大切なプロセスケミストリーに関し,等しく関心を持つ化学者が一同に会して最近の進歩を披露・討論し,切磋琢磨する学会は日本には皆無であった。一方欧米では,いち早くプロセスに関するシンポジウムがいろいろなかたちで開催され,また米国化学会,英国化学会はそれぞれの学会の年会でプロセスを論ずるセッションがあり,その上両化学会は共同してプロセスケミストリーに関する国際雑誌「Organic Process Research & Development」を刊行している。
そこで我々は手始めとしてプロセスケミストリーにたずさわる者が集まり互いに苦労話,苦心談,成功物語や実体験を,気楽にしゃべりあう場を作ってはどうかとプロセスケミストリーの研究会を始めて開催したのが平成11年12月9日である.このときは参加者21名であった.そして回を重ねるごとに口こみで参加者が増加し,一方で主として製薬企業のプロセス関係の研究所長クラスの方々にお集まり頂き御意見を伺い,privateな研究会から学会として運営して行くことになり,平成13年11月に「日本プロセス化学会」が創設された.そして平成14年7月に創設記念シンポジウムを開催するに至ったが,その際は実に419名の方々の出席を見たのであった。
本書はプロセスケミストリーを主題とする今日迄に開催された研究会,シンポジウムや創設記念シンポジウムで御講演頂いた内容を,一冊の書物としてまとめたものである。
本書の構成は総論,基礎的反応,合成の自動化,そして工業的製造プロセスの4部になっており,まず第?T編総論においてはプロセスケミストリーの重要性と戦略,創薬化学者との連携,そして有機合成化学においてよく知られている反応が大量合成に使用可能かどうか,それぞれ自分自身の体験した実例を入れて詳述している。
次の第?U編基礎的反応では,実際にプロセスケミストリーにおいて使用されている反応あるいは,将来使用されることが期待される反応について解説している。とりあげている事項は,不斉炭素-炭素結合形成反応,不斉付加反応,種々の著名な反応の環境調和型反応への発展的変換,鈴木-宮浦カップリング反応,BINAPを凌駕する新規不斉還元剤の開発,修飾アルミニウムハイドライドとそのアルツハイマー病治療薬アリセプト合成への応用,そして抗癌抗生物質の工業生産に端を発した新規脱アセチル化剤の開発など多岐にわたっている。
第?V編では,上記と一変して近時盛んになりつつある合成の自動化について,ロボットによる合成,マイクロリアクターの将来展望,そして著者自らの開発した自動合成装置について,現況と展望をとりあげている。
最後の第?W編では,種々の医薬品の工業的製造プロセスについて,個々に著者が体験された実例をくわしく述べ,工業的製造プロセスとは何か,どのような点に工夫があるか,開発した反応をどう高め,リファインし,実用化レベルへ到達させるか,個々の例につき詳述している。
以上全体を通じていえるのは,大部分の章がいわば各種文献を網羅整理して紹介した総説的記述に止まらず,著者自身が実際に開発した手法について,生き生きと語っている点が特徴で,読者はどの章を読まれても著者とともに研究にたずさわっているかのような臨場感を持たれることは疑いがない。そして本書を一読されれば,日本のプロセスケミストリーがどういうふうに展開しているか現状を御理解頂き,今後の展望が開けよう.御執筆の方々には講演ばかりでなく,執筆の労を心よくおひき受け頂き,編集者として感謝にたえない。
日本プロセス化学会としては,日本のプロセスケミストリーの発展を願って,シンポジウム以外にも種々の企画があり,今後の活動を期待して頂きたい。
本書を土台として更に世界に誇れる優れたプロセスケミストリーが,日本で開発され展開されることを期待してやまない。
平成14年師走 日本プロセス化学会 塩入孝之・富岡 清・左右田茂
著者一覧
富岡 清 京都大学 大学院薬学研究科 教授
左右田 茂 エーザイ(株) プロセスケミストリー研究所 所長
鴻池 敏郎 塩野義製薬(株) 生産技術研究所 所長
冨松 公典 武田薬品工業(株) 製薬研究所 リサーチマネージャー
鳥澤 保廣 大塚製薬(株) 徳島第二工場 医薬生産部 合成研究室 主任研究員
西 孝夫 大塚製薬(株) 徳島第二工場 医薬生産部 合成研究室 室長
南川 純一 大塚製薬(株) 徳島第二工場 医薬生産部 合成研究室 部長補佐
柴嵜 正勝 東京大学 大学院薬学系研究科 有機合成化学教室 教授
金井 求 東京大学 大学院薬学系研究科 有機合成化学教室 講師
田辺 陽 関西学院大学 理工学部化学科 教授
西田まゆみ 広栄化学工業(株) 研究所 千葉研究室 チームリーダー
齊藤 隆夫 高砂香料工業(株) 総合研究所 部長
阿部 太一 エーザイ(株) プロセスケミストリー研究所 二室 研究員
五島 俊介 藤沢薬品工業(株) 合成技術研究所 主席研究員
菅原 徹 (株)ケムジェネシス 開発本部 ディレクター
吉田 潤一 京都大学 大学院工学研究科 合成・生物化学専攻 教授
菅 誠治 京都大学 大学院工学研究科 合成・生物化学専攻 講師
大寺 純蔵 岡山理科大学 工学部 応用化学科 教授
折田 明浩 岡山理科大学 工学部 応用化学科 講師
藤林 良一 住金エア・ウォーター・ケミカル(株) 開発研究所 主任研究員
村井 安 明治製菓(株) 北上工場 工場長
川崎 雅史 万有製薬(株) 技術開発研究所 合成技術研究所 パイロット合成研究室
上田 誠 三菱化学(株) 科学技術研究センター ライフサイエンス研究所 プロジェクトリーダー
橋本 典夫 藤沢薬品工業(株) 合成技術研究所 主任研究員
飯田 剛彦 万有製薬(株) 合成技術研究所 プロセス化学研究室 研究員
間瀬 俊明 万有製薬(株) 合成技術研究所 プロセス化学研究室 次長
松本 浩郎 日産化学工業(株) 物質科学研究所 医薬研究部 主席研究員
三上 哲弘 中外製薬(株) 技術本部 合成技術研究部 主席研究員 第2グループマネージャー
萩澤 稔 三共(株)合成技術研究所 合成研究第四グループ 専門研究員
池田 正弘 三共(株)合成技術研究所 合成研究第四グループ グループリーダー
目次 + クリックで目次を表示
第1章 プロセス化学と戦略的原薬製造
1. プロセス化学の特性
2. 医薬開発とプロセス化学
3. プロセス化学とスピード
4. プロセス化学とコスト
5. プロセス化学と品質
6. プロセス化学の実践:エンドセリン拮抗薬S-1255の不斉合成
7. コスト削減:S-1255の場合
8. プロセス化学の展望
第2章 メディシナルケミストとの連携
1.はじめに
2.プロセスケミストの役割
2.1 プロセス化学研究開始の時期
2.2 プロセス研究のさらなる効果
3.連携の実際
4.おわりに
第3章 有名反応のプロセス化学的評価
1.はじめに
2.塩酸グレパフロキサシンのプロセス研究:シーマンフッ素化反応の改良
2.1 背景
2.2 試行錯誤
2.3 改良法の確立
2.4 教訓
3.アリピプラゾールのプロセス研究:カルボスチリル環合成とBeckmann転位
3.1 背景
3.2 Beckmann転位(BR)反応
3.3 落穂拾い
3.4 教訓と反省
4.アリールピペラジン合成研究:Buchwaldアミノ化反応の改良
4.1 背景
4.2 改良への考察
4.3 溶媒系への考察
4.4 リガンドの選択
5.アリピプラゾール不純物との格闘:ダイマー型不純物の混入
5.1 背景
5.2 1,1-ジアリールエタン基本骨格の合成
5.3 アミノ化反応によるアリールピペラジン導入
5.4 もう一つのダイマー
5.5 不純物の起源
6.まとめ:プロセスという旅
第Ⅱ編 基礎的反応
第1章 触媒的不斉炭素-炭素結合形成反応
1.はじめに
2.Lewis酸-Bronsted塩基型多点認識不斉触媒 ALBを用いた触媒的不斉Michael反応
3.Zn-Linked BINOL錯体を用いたα-ヒドロキシケトンの触媒的不斉アルドール反応および触媒的不斉Michael反応
4.Lewis酸-Lewis塩基型多点認識不斉触媒を用いたケトンの触媒的不斉シアノシリル化反応
5.おわりに
第2章 有機リチウム反応剤のキラル配位子制御による不斉付加反応
1.はじめに
2.キラル活性化剤の設計と合成
3.不飽和イミンへの不斉共役付加反応
4.不斉共役付加-脱離反応によるビナフチルの触媒的不斉合成
5.イミンへの不斉1,2-付加反応
5.1 イミンを活性化し,不斉収率も高く,容易に外し易い窒素上置換基
6.窒素上置換基による不飽和イミンの位置選択性の制御
7.有機リチウム類の不飽和エステルへの不斉共役付加反応
8.その他の反応への適用
9.おわりに
第3章 環境調和型反応の開発
1.序 論
2.チタン=クライゼン縮合・アルドール付加の開発と有用ファインケミカルズ合成への応用
2.1 はじめに
2.2 基本的性能
2.3 天然大環状ムスク香料:Z-シベトン・R-ムスコンの短段階・実用合成
3.最近のエステル化・アミド化・スルホニル化・シリル化の動向
3.1 はじめに
3.2 エステル化
3.3 アミド化
3.4 スルホニル化
3.5 シリル化
第4章 パラジウム炭素を触媒とする鈴木-宮浦カップリング反応
1.鈴木-宮浦カップリング反応について
2.鈴木-宮浦カップリング反応工業化における問題点
3.添加剤無添加でのカップリング
4.ホスフィン以外の添加剤の検討
5.ホスフィンを添加剤とした検討
6.配位子効果
7.まとめ
第5章 進化するBINAP化学
1.はじめに
2.不斉配位子の設計
3.SEGPHOS配位子の合成
4.高活性錯体触媒の調整
5.置換ケトン類の不斉水素化反応への応用
6.SEGPHOS配位子の進化:カルバペネム系抗生物質鍵中間体の合成
7.おわりに
第6章 アルツハイマー型痴呆治療剤アリセプト重要中間体に関する新製造法
1.はじめに
2.修飾アミンの検討
3.アミン体の抑制
4.反応条件の最適化
5.Red-ALP還元反応の反応機構
6.SMEAHの成分に関する考察
7.他の基質への適用
8.おわりに
第7章 新規脱アセチル化剤の開発―抗癌抗生物質FK317工業化研究―
1.概要
2.オリジナルプロセス
3.スケールアップKH
4.新規脱アセチル化反応条件の探索とNMHA法の開発
5.新規脱Ac化剤のデザイン
6.アミノヒドロキシルアミン誘導体の合成
7.アミノヒドロキサム酸の脱アセチル化能(モデル実験)
8. FR066973脱アセチル化反応
9. 選択的脱アセチル化剤としてNMHAとの比較
第Ⅲ編 合成の自動化
第1章 ロボット合成
1.はじめに
2.ロボット合成
3.自動化の現状と将来展望
3.1 装置の改良・改善の延長線上での自動化装置の開発
3.2 新しいアプローチによる自動合成装置の開発
3.3 多分野の科学との共同・融合を考慮した自動化装置の開発
4.最適反応条件探索装置の開発
4.1 3-(1-Hydroxyethyl)-4-acetoxyazetidine-2-onの選択的アシル化反応
4.2 最適反応条件探索装置(PROW)の開発
5.おわりに
第2章 マイクロリアクター
1.はじめに
2.マイクロリアクターとは
3.マイクロリアクターを用いた反応
3.1 微少量での反応・合成
3.2 大きな表面積を生かした反応
4.自動マイクロ合成システム
5.おわりに
第3章 自動合成装置 MEDLEY
1.はじめに
2.ワンポットプロセス設計概念
3.スルフォンの2重脱離
3.1 ビタミンAの合成
3.2 アセチレンの合成
4.ワンポットプロセスを指向した自動合成装置
5.おわりに
第Ⅳ編 工業的製造プロセス
第1章 7-ニトロインドール類の工業的製造法の開発
1.はじめに
2.インドールからの7NI合成検討
2.1 従来の知見
2.2 当社開発法
3.工業化検討
3.1 硝酸アセチルの安全性評価
3.2 1-AI-2-SNのニトロ化反応の安全性評価
3.3 安全対策
4.おわりに
第2章 セフジトレンピボキシルの工業的製造法の開発
1.はじめに
2.プロセス開発-1(Z体の精製法確立)
3.プロセス開発-2(Z体の選択的製造法確立)
4.安価な製造法(MTHA,NaIのリサイクル)
5.CDTR-PI結晶の非晶化(RCFプロセス)
6.おわりに
第3章 インドロカルバゾール系抗腫瘍剤のプロセス研究
1.序 論
2.合成戦略
3.各フラグメントの合成
3.1 インドロカルバゾールフラグメントの合成
3.2 グリコシル化
3.3 ヒドラジンフラグメントの合成
3.4 重要中間体への変換
4.最終工程
5.結 語
第4章 プロセス化学と生物変換技術
1.はじめに
2.発酵および微生物変換法によるグルコースからのL-リボースの製造
2.1 Ribitol 発酵技術の開発
2.2 工業生産可能なプロセスの構築
3.(R)-α-Hydroxy-γ-butyrolactone合成ルートの探索
3.1 酵素法によるD-Maleteの合成
3.2 (R)-α-Hydroxy-γ-butyrolactoneの合成
4.3,6-ジ置換ピリジン誘導体の合成
4.1 酵素変換法によるCHPの合成
4.2 CHP結晶の取得と合成展開
5.おわりに
第5章 新規アデノシン拮抗剤FR120838の製造プロセス開発
1.はじめに
2.FK838のプロセス開発(Aルート)
3.FK838のプロセス開発(Bルート)
3.1 アセチルフェニルアセチレン(FR128469)の合成
3.2 N-アミノピリジンの1,3-双極子付加反応
4.おわりに
第6章 ムスカリンM3受容体拮抗剤の製造プロセス開発
1.序 論
2.好ましい原薬の形状の決定
3.工業的製造法確立のための合成計画
4.カルボン酸重要中間体の製造プロセス
4.1 ジオキソランの合成
4.2 ジオキソランとシクロペンテノンのMichael反応
4.3 ケトンの脱酸素フッ素化反応とカルボン酸重要中間体の合成
5.反応安全性評価
6.アミン重要中間体の製造プロセス
6.1 初期合成検討と合成計画
6.2 ピペリジン中間の合成
6.3 2,6-ジブロモピリジンの選択的ホルミル化反応と還元的アミノ化反応
6.4 芳香族アミノ化反応
6.5 アミン重要中間体の合成
7.最終工程
8.結 語
第7章 抗高血圧薬塩酸エホニジピン原薬の製造研究
1.はじめに
2.ホスホン酸エステルの導入
2.1 アセトニルホスホネートの製造
2.2 従来のα-アセチルスチリルホスホネート製造法
2.3 アミナール法
3.塩酸塩エタノール溶媒和物の安定性
4.光学活性体の製造研究
4.1 ジヒドロピリジン系Ca拮抗薬と光学活性
4.2 ジアステレオマー分割法
4.3 不斉合成法
4.4 光学異性体分離カラムを用いたクロマト分離
4.5 光学活性体の塩酸塩製造
5.おわりに
第8章 新光化学反応用紫外線照射装置を用いたビタミンD誘導体の合成
1.緒 論
2.照射紫外線波長の選択
3.ラボ機を用いた照射装置の選択
3.1 300nm付近に発光極大を有する蛍光灯を利用した装置
3.2 300nm付近の光を透過する溶液フィルターを利用した装置
3.3 300nm付近の光を透過する誘電体膜フィルターを利用した装置
3.4 三装置の比較・決定
4.試作機の設計と条件検討
4.1 誘電体膜フィルターの透過波長領域
4.2 照射方式の選択
4.3 反応条件設定(濃度と基質量)
5.様々なビタミンD誘導体の合成
6.結 語
第9章 ノスカール錠用固体分散体の工業化
1.はじめに
2.非晶性の判定
3.非晶化の基本製法の選定
3.1 析出法
3.2 濃縮法
4.パイロット機を用いた噴霧乾燥法の条件検討
5.実設備による実液テストと試製状況